2014/12/19

(No.2284): 遠巒の廻廊(十一)


しかし眠くなる。
あのあと、男の持ってきた質素な食事、
玄米と味の濃い煮しめと葉物を食べ、
すぐに眠くなって寝てしまった。

今度は夢も見ずに朝まで熟睡したのだろう
気付くと部屋の中は明るかった。
しかしいくらでも眠れそうだ。
布団の中でまどろんでいると襖の向こうから
男の声がした。

「旦那、お目覚めかい」
「ああ、起きてる」

男が手ぬぐいを持って部屋に入ってきた。

「まだ眠てぇだろう、こっちぇ来たてぇ奴は
みんな暫くぁ眠気が取れねぇんだ」
「こっち?この江戸ってことか?」
「ああ、何故だかぁおいらにゃわかんねぇがよ
何百年も飛んで来らぁ体もおかしくなるんだろう」
「俺以外にも来た奴がいるというのか」

男はわたしの質問に答えずに続けた。

「この手ぬぐいを使っておくんない、それと
着替えはくれぐれも頼んだぜ、夕べみたいに
あの恰好でおもてぇ出られちゃぁかなわねぇからな」

ああわかったと応えわたしはおとなしく着替え
始めた。下着も脱げと促され、所謂下帯を付ける。
案内された便所で用を済ませた。
下帯は小便するのには具合が良い。
便所脇にある大きな瓶の水で顔を洗っていたら
なぜか涙がこぼれてきた。





寝ていた部屋とは別の大広間に案内された。
ざっと二十畳はあるだろうか。
部屋は襖で仕切ることができるようだが
全て開け放たれており、襖自体もない。
ただ鴨居が仕切りの天井にあり、
その立派な彫り物に目を奪われた。
奥の床の間に軸が一本さがっている。
幽霊画のようだが不思議と不気味さはなく
逆に荘厳な雰囲気を立ち昇らせている。

「いま、朝餉ぇ持ってくっから待ってな」
「この家にはあんたしかいないのか?」
「いるよもう一人。そっちが飯なんかを
こさえてらぁ。おいら飯は作れねぇ
もっぱら喰うだけよ」
「あんた、名前は何ていうんだ」
「藤助」
「とうすけ?もともとここの人か?」
「そうよ、生まれも育ちも江戸冬木町よ」
「藤助さんよ俺はなんでここに来たんだ」

直球を投げてみた。

「やっと信じておくんなすったかい。けどなぁ
その理屈はぁおいらにもわかんねぇんだ」
「なんで」
「お上のやるこたぁわかんねぇ・・
お上っても江城にいるれんじゅうじゃぁねぇがな」
「江城って?」
「千代田のお城のことよ、おめぇ見たことねぇのか」
「ああ、江戸城ね。今は皇居になってる」
「こうきょ?」
「ここは百八十年前だったか?それだとあと四十年か
五十年もしたらそうなる」
「あ、いや、すまねぇあんたらのことは
聞かねぇ仕来たりなんだ、そうきつく言われてる」
「その聞くなと言ってるお上っていうのが
俺をここに飛ばしたのか? 菅井って奴じゃないか?」
「菅井という奴ぁ知らねぇ」
「もう一度聞くが俺はどうやってこの家まで来たんだよ」

藤助に詰め寄ろうとすると襖が開いて
女が入ってきた。お膳を抱えている。
よくみたらまだ十二三歳の少女のようだ。
細かい格子模様の入った薄茶色の小袖にお下げ髪。

「この子が?」
「ああ、お松だ、ほれ挨拶しねぇか」

お松と呼ばれた娘は玄米と椀と香の物が乗った
お膳をわたしの前に置くと、その場で額を畳に
すりつけながらお松ですとだけ言うと
踵を返して襖の向こうへ行ってしまった。

「お松は何も知らねぇんで、旦那を二本差しだと
思ってるんで」
「二本差し?」
「お武家のことよ」
「ああ侍か」
「この屋敷にいりゃぁ食べるのも寝るのも
困りゃしねぇんで、お達しのあるまでせいぜい
ゆっくりしておくんねぇ」
「お達し? があるのか?」
「たぶん」

往来から棒手振の売り声が庭を越えて小さく
響いてくる。
「たいやたい、なまだこ、まだいー」




「この屋敷の裏庭に蔵がありやしてね」

玄米を頬張っていたら藤助がふいに言った。

「その蔵の中に旦那はいたんでさ」
「蔵?」
「普段は鍵ぃかかっててね誰も入れねぇんで、
でも事があるてぇときだけ扉が開くんで」
「自動ドアってことか、でも俺は記憶にないぜ
気が付いたらあの部屋で布団に寝てたんだから」
「おいらとお松が蔵から運び出したんでぇ、
たいがいおまいさん達は眠ってて起きねぇんだ」
「それ、それ、」

わたしは思い出して箸を置いて言い募った。

「俺以外にもここに来た奴がいるんだろう」
「言っていいものやらわかんねぇんだが」
「教えてくれよ」

躊躇しながらも藤助は話してくれた。

「もう半年も前(めぇ)になるがな、おいらぁ
一人世話したんだ」
「どんな奴だ、今どこにいるんだよ」
「慌てなすんな、そいつぁもういねぇよ」
「いないって?」
「ああ、たぶんまたどっかの時代(じでぇ)に
飛ばされちまった」
「・・・・ なんだよそれ」
「そいつぁな、日本の奴じゃぁなかったよ」
「本当かよ、何人だった?」
「なにじん?」
「どこの国かって聞いてんだよ」
「そんなの知らねぇ。でも身体がまっちろでな
髪が茶色でよ、目が窪んでて鼻がとんがった男だった」
「西洋人だな、若い奴か?」
「若かねぇ。旦那くれぇの歳だと思うがよ、
奴ら歳がわかんねぇ」
「でもよく話せたな」
「おいらは話せねぇよ、変な言葉を使う役人みてぇのが
ここにやって来てな、そいつが相手してたぜ、
俺は奴の身の回りのことをやってただけだ」

これまでの藤助の話しを半信半疑で聞きながらも
外に出てやはり自分の目で確かめたいという欲求は
高まってきた。

「ああ、そういや奴の名前がへんちくりんだったぜ」
「その西洋人のか」
「せ、せじゅいち、ばるぶ、ばるぐ、とか」
「なんだよそれ、せじゅいちばぐる? かい 
たしかにそいつあ大層な名前だな」
「あははは」
「あははは」

久しぶりに笑った所為か気持ちが少し晴れてきた。



(続く)



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