2014/08/22

(No.2236): 遠巒の廻廊(九)


「すぐにでも戻って来るような感じですね」
「ああ、マグカップにコーヒーの残りが固まっちまってるがね」
「洗ってない食器もそのままだし、机の上には書類の
束が開いたまんまですよ」

ワイマールとヤン・ヨークビンセントはフェルディナンド・
セジュウィッチバーグ博士の自宅を訪れていた。


研究所のあるロンドンから車で約1時間半ほどの
ケント州東部カンタベリーにセジュウィッチバーグ
博士の自宅はある。
まるでテーマパークのような中世の街並の続く
目抜き通りと並行に通る生活道路に面して建つ、
十八世紀に建てられた古い建物を借りて住んでいる。

ワイマール達がセジュウィッチバーグ博士の自宅に
到着したのは23時を過ぎていた。
予想はしていたが案の定呼んでも返事はなかった。
家の照明も点いていない。
合鍵があるはずもなく二人はしばらく途方に暮れたが
裏へ回ってみると幸いにも窓の一つがわずかばかり
開いているのを見つけた。
その窓を開けて細身のヤン・ヨークビンセントが家の中へ
ようやく入る事ができたのだった。

失踪などではなく万が一病気で倒れてはいないだろうか
そういう可能性も含めて家の中を二人はくまなく見て回った。
しかしセジュウィッチバーグ博士の姿はどこにもなかった。


家の中は荒らされたり或いは争った形跡などは
一切なかった。鍵はかかっていたので
セジュウィッチバーグ博士は確かに外出したのだろう。
しかしそれは僅かの時間でそのため食器等もそのまま
だったのだろうと推測できる。
つまり、すぐに戻る予定だったということだ。
ところがいなくなって既に2ヶ月になる。

「ヤン君、やはりあのブツもどこにもないね。
フェルディが持って出て行ったのだろうか」
「ワイマールさんにだけ教えていたようですけど
他に調べてもらうあてがあったのでしょうか」
「ううむ、ヤン君、キミは書斎をもう一度調べて
くれないか。私はリビングの周囲をみてみるよ」
「わかりました」

しばらくすると書斎からヤン・ヨークビンセントが
大声を出して走ってきた。

「ちょっ! ワイマールさん!ちょっとこれ!」
「おお、なんだ!どうした!」
「これ、iPhoneですよ」

ヤン・ヨークビンセントの手にはiPhone5Sが握られていた。

「これ、先生のです!机の上にありましたよ、
書類の山に埋もれてました」
「ほ、ほんとうかね、もうバッテリーはないね」
「車の中にアダプタがあるので持って来ます」

二人はリビングのソファーに座って固唾を見守った。
暗証番号ロックはかかっていなかったので
iPhoneは無事起動した。

「着信履歴にはボクの着信が続いています」
「キミがあのメールを受信した日を覚えているかい
その日の着信はどうなってる?」
「あ、そうですね。それと途中だったあのメールの
後半が残っているかも知れませんね」

”あのメール”とはセジュウィッチバーグ博士が
ヨークビンセントに宛てた調査依頼メールのことだ。
しかし何故か途中で送信してしまっているようだった。
(メール本文)
<ヨークビンセント君 至急調べてくれ 古代ケルト語の
亜種、サフォン語のことを。そのなかの体系にデュイという
文字があれば   >


ヤン・ヨークビンセントが慣れた手つきで人差し指で
スクロールしてゆく。

「ありました! 2月16日です。着信がありますね」
「キミ、キミがメールを受け取った時間は?」
「え?えーとちょっと待って下さい、自分の携帯を見てみます。
えーと、、 2月16日の、15時32分ですね」
「フェルディのiPhoneにあるその電話の着信時間は?」
「あ! 15時32分です!」
「そうか、その電話に出るときに間違えてメールを
送信してしまったのかもしれないね」
「でも、そうならその後でさっきのは途中で間違えて
送ったと言ってもよさそうなもんでよね」
「そう。でもそれができなかったのだろう。何かの理由で」
「そもそもこの着信番号ですが、こんな時間ですが
念のため電話してみましょうか」
「うむ、奴が失踪する直前の電話だし、何か手掛かりが
あるかもしれないな」

ヨークビンセントは着信の番号に電話をかけた。
呼び出し音はするが出ない。
しばらく待ったが、夜中ということもあり諦めて切った。
その時、電話アイコンに留守録音マークがあるのに気付き
ヨークビンセントは留守録を再生した。

「留守録か。何か手掛かりになるかな」
「あ! ワイマールさん! 2月16日の14時に同じ番号の
着信から留守録になって残ってるのがありますよ!」
「よし、聞いてみよう!」

音声が聞こえる。
どうやら女性の声で合成音声のようだ。
最初は留守録のガイダンスかと聞き間違えたほどだ。

[家の前から北北東の方角に向かって113歩]

と聞こえた。

「こ、これは、なんなんですかね」
「北北東の方角に向かって113歩、と言っていたよな」
「はい、ですね」
「家の前から歩けということか?」
「先生はこれを聞いて?」
「なるほど、そうか、北北東の方角に113歩、、」
「え? 行ってみるんですか!?」
「手掛かりがあるかもしれない」
「もうスコットランドヤードに連絡したほうが
いいのではないでしょうか」
「キミの心配もわかるんだが、しかしあの
古文書のことが知られたらいろいろと
厄介なことになりそうなんだ。
大丈夫、フェルディは無事さ。そんな予感がするよ」

ワイマールとヤン・ヨークビンセントは玄関の前に立ち
方位を確認した。
北北東というと丁度前の道を右に歩く方向だった。
113歩あるいたところには、同じような古い建物がある。
当然誰かの住宅である。
玄関のランプも灯っており人は住んでいるようだ。
道から見上げるとまだ窓に灯りが見えるので
寝ていないようだ。
ワイマールは意を決して玄関を叩いた。
すぐに反応があった。
男性の声だ。

「夜分恐れ入ります」

重厚な扉を開けて顔を覗かせたのは
六十歳台と思しき東洋人だった。
意外な人物の登場にたじろいだワイマールと
ヤン・ヨークビンセントだった。



(続く)



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