2013/08/20

(No.2043): ある詩人・作曲家・演奏家・活劇家・発明家の一生


滑馬壮箆(こうま そうへい)
1898年 - 1981年
東京府出身
詩人、作曲家、演奏家、活劇家、発明家

<主な作品>

「原寸のバダイニ」1923年
「ずゐふ、法本。桑畑とデ縫」1938年
「佇立のフローレアヌ時」1963年

作曲
「Magd und Biene, flache Ufer des Flusses」1929年
「襟巻」1934年
「右腑の迷道 VII」1955年

パフォーマンス
有能ハバト 主催「第三イムターナミョナル記念塔、を」1933年
(作曲、演奏)
罪濡劇活 主催「此の陽に起つ、ザツハ」1953年-1954年
(作曲、演奏、演劇)
自主企画「ヨークヨー翁の大罪(見聞録の妙本)」1968年
(脚本、演出、作曲、演劇)


--------------------------------------------
(略歴)
滑馬壮箆は明治22年1898年、父・行部 母・さじの三男として
東京府北豊島郡岩淵町で生まれる。
本名は滑馬壮兵

15歳 
数学教師だった父・行部が他界、母親と兄弟で小石川区
大塚辻町に移り住む。

17歳
スクラルク公国の詩人ラキレーに影響されスクラルク語と
日本語の翻訳を始め、自らも詩を書き始める。

25歳
四つの広義難解散文の偶数文字のみを再配置し、それを
スクラルク語の発音を真似た日本語と組み合わせた
「原寸のバダイニ」を発表。

31歳
銅線をコイル状に何千回と巻いた筒と碍子を組み合わせた
電子雑音を発する機械を発明する。
この電気的音響を時間芸術として作品創作を始める。
同年、デュセルドルフへ渡独。33歳に帰国。

35歳
ロイシュア・アヴァングアルドに傾倒。
演出家ハバト・シュテンゼレンとともに前衛演劇集団を結成。

50歳
誘電コイルとダイオードによる電気障音発生機を製作。

58歳
スクラルク公国の作曲家カツ・ハヤダとの共作を発表。
後にカツ・ハヤダは「壮箆は会うときは必ず全裸だった」と
独白している。

64歳
自らを「得難き愚行」と称し、家財道具一式を焼き捨てる。

70歳
自ら脚本、演出、作曲、そして演技までを一人で行った
前衛舞台「ヨークヨー翁の大罪」を制作。
舞台は三部構成になっていたが、第一部は約90分間無言で
椅子に座っているだけという内容だった。
足を組み換える仕草を18分36秒おきに正確に行うという演出
だったが、観客の誰一人として理解できなかったという。



83歳
死ぬ間際「夜明けのガメーボを」と言い残したとされる。
直接の死因は誘電コイルによる感電死だという。
「ガメーボ」とはスクラルク語で「大仰な虫」という意味。







0 件のコメント:

コメントを投稿