2013/06/21

(No.2005): 遠巒の廻廊(四)


淹れたばかりの熱いコーヒーを片手に
フェルディナンド・セジュウィッチバーグ博士は
軋むスティール製の椅子を引き寄せて座った。

午後5時を回った大学の研究室には、
セジュウィッチバーグ博士以外には先月入ったばかりの
助手のヤン・ヨークビンセントしかいなかった。
ヨークビンセントは先ほどから、出土品目録の整理で
Macにつきっきりである。
カチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえる。

「君も飲むかね、ヨークビンセント君」
「え、あ、」
「コーヒー」
「あ、お願いします」
「お安い御用さ、僕はね、このKencoが好きでね」

そう言うと、セジュウィッチバーグ博士は
Kencoの瓶からスプーンを使わずに大きなマグカップの中へ
器用に叩き入れた。流れるように電気ポットからお湯を
注ぎ入れて、かき回すこともなくそのままヨークビンセントの
机の上に無造作に置いた。

「ミルクと砂糖は入ってないよ」
「恐縮です。先生、この宝玉387番っていうのは
ヒッタイトでよろしいのですか」
「うん、一応そう分けておいてくれないか」
「わかりました」

その時、セジュウィッチバーグ博士のマナーモードの
iPhoneが振動した。着信は友人のワイマールからだった。
彼もまた研究者だが、主に放射性炭素年代測定の仕事をしている。
過日、依頼していたモノの結果が出たのだろうか。

「ハロー」
「やぁ、フェルディ。ワイマールだ」
「結果が出たのかい!」
「ああ、たぶんな、だから電話してる」
「たぶん?」
「些か、いや、自信がないんだよ」
「なんだ、どうして!」

苛立ったように言うと、椅子から立ち上がり
先を急かすように続けた。

「イギリス王室でさえ一目置くほどのキミの
研究所なのに」
「まぁ、聞けよ。例のブツなんだが、フェルディが
言うように植物の紙は使われていない。
紙の代わりに獣と思われる、まぁ動物の皮だな、
それに文字が書かれている」
「ああ、そうだ」
「文字は鉱石を使った顔料のようなので測定はできないが
動物の皮なら放射性炭素測定はできる」
「ああ、そうだ、だからキミに依頼した」
「測定した」
「うむ、それで!」
「驚くべき結果になったよ」
「どういうことだ!」
「4億4320万年」
「え?なんと言った?」
「4億4320万年前という結果が出た」
「まさか!そんな、だって文字が書いてあるんだぞ」
「ああ、わかってるよ、紀元前2世紀頃ではないかと
聞いていたから、不純物による誤差だろうと思い、
116回も測ったんだよ」
「・・・・・」
「何度測定しても結果はほぼ同じだったよ」
「文字は、後から入れられたのかもしれない」
「いや、皮を掘って顔料を流している部分があるよな」
「ああ、知ってる」
「皮を掘ってある断面も測定したよ。4億4300万年前だった」

セジュウィッチバーグ博士はぬるくなったコーヒーを
一口飲んで、椅子に崩れるように座り込んだ。
手に持ったiPhoneは汗でべとべとなった。

「書いてある内容が、そもそも異常だったんだ」
「そうなのか?」
「ああ、キミには言わなかったんだが、オーパーツだと
思っている」
「オーパーツ!」
「トランジスタの特性が説明されていた」
「本当か!」
「ああ、古代ケルト語のさらに複雑な体系なんだが
おそらく内容は間違っていないと思う」
「お、俺は震えてきたぜ・・」
「それだけでも驚くべきもので、紀元前2世紀にはあり得ない
わけだからね。だからキミのところで調べてもらって
近代のものだとわかれば、ほっとするじゃないか」
「ところが。。」
「ああ、ところが、結果はそれ以上だった・・」
「・・・・・・」

お互いの沈黙が、疑問が次から次へと湧き上がっていることを
物語っていた。

「4億4320万年前というと・・」

沈黙を破って、セジュウィッチバーグ博士がつぶやく。

「オルドビス紀。古生代前期だよ」

それに、ワイマールがゆっくりと応えた。

「古生代・・」
「ああ、三葉虫やオウムガイはいただろうが
皮を持ついわゆる獣の類は、存在していない時代だ」
「ましてや、トランジスタの特性など・・」


「先生!先生!」

ヨークビンセントの声の方を振り返る。

「先生、コーヒー、こぼれてますよ」

マグカップを持つ手の傾きが放心した状態を表していた。
床にこぼれたコーヒーの黒さに何か禍々しいものを
感じるセジュウィッチバーグ博士であった。





(続く)


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