2013/02/20

(No.1921): 機械歌唱は好き


昨日のボコーダー概論に続き
その周辺の「機械歌唱は好きだ」の巻。

機械歌唱にも大きく二通りある。
一つはボコーダーやエフェクト加工
による演奏。
一つはボーカルエンジンを使った打ち込み。

どちらをとっても最も心を鷲掴みされるのは
KRAFTWERKの作品群である。
「放射能」で聴かれる「エネルギーの声」
のようなエフェクト加工された人声は
衝撃的だった。
KRAFTWERKのボコーダー的機械歌唱は
人工的なフォルマントを全面に出す、いわば
人声を真似たものとは一線を画すあくまでも
機械によるそれとわかる発声である。

アルバム「MIX」ではボーカルエンジンによる
機械歌唱を聴くことができるが、
昨今にありがちな、いわゆるボカロ的なアレ
ではなく、ホワイトノイズと矩形波のみで
フォルマントされた絶品の人工音声歌唱である。

初期のMacintochにあったMacinTalkは
このフォルマントに近い。
余談だが筆者はこのMacinTalkを
使いたいだけのために
Macintoch Classicを未だ所有している。

筆者はこのような不完全でありながら
特徴的な音の造作を持つ機械による発声
というものに非常に興味を覚えるのである。



さて、
機械歌唱好きと豪語して憚らない筆者だが
これだけはどうしても好きになれない。
それは
いわゆる初音ミクに代表されるボーカロイドと
呼ばれるソフトウエア群による機械歌唱である。
より人の発声フォルマントに近づいていることは、
例えば医療の分野では賞賛に値する技術だが、
こと音楽制作の分野では、筆者は到底
受け入れられない。
特に擬人化している風潮を鑑みれば
なおさら素通りしたくなる。

まるで実際にそこに女の子がいるのではないか
というくらいの生々しい発声では、
筆者にとってはそもそも機械を使う意味が
ないからだ。
一聴して人工ヴォイスであるとわからなければ
筆者のディレクションではNGなのだ。
(編集註※)

声というのは非常に複雑な音の集合体である。
それを人工的に無理やり再現した場合に
生じる不自然さというものに魅力を感じる。
どれだけ不完全かということが
筆者には重要なのだ。
つまり
「不自然な音」は「聴いた事のない音」と
ニアリーイコールなのである。



そして、最後に付け加えるとするならば
亜種の話をせねばなるまい。

機械歌唱の亜種とでもいうべき
Autotuneに代表される音程補正ツールのことだ。
いわゆる
パヒューなんとかとかきゃりーなんとかとか
あちらへんの方々のメインツールというか
そもあの特徴的な音で既に一般化している
アレだ。

実は筆者はAutotuneには肯定的だ。
ケロケロサウンドなどと揶揄されているが
そこまでいかなくとも強制的に波形を変える
ある種暴力的な不自然感というものは好きだ。

ただし、現在では猫も杓子もAutotune三昧に
なってしまって、
不自然で不完全だったものが
マジョリティに昇格してしまった。
返す返す残念なことだ。

なにこの変な音(声)やだー変態とか
そういう視点がもはや存在しないのは
寂しい。


機械歌唱を聴いたオーディエンスから
ちょっとやめてよー気持ち悪いぃ

という賛辞を頂戴したいものだ。



編集註(※)
設定によっては
わざと変な発声にすることは可能である。





2 件のコメント:

dewey_taira さんのコメント...

声の代替プリセットとしてなら、初期LEONやLOLAのたどたどしさに軍配があったと思います。当世風のボカロ云々、どれだけ「調教」を施されたものでも一聴して拒否反応が出ます。私もダメです。

dewey エフオピ さんのコメント...

ボーカロイドに「古今亭 志ん朝」が出たら欲しいかもしれません。

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