2011/08/29

(No.1484): 夢記五二


いつものこの雰囲気。
懐かしさもじわじわくる。
フジのこの匂いと臭い。
あの稜線や踏みしめる地面の感触。
また来たんだこの地に。
早いなー
あれからもう1年も経ったのか。
?あれ、うーん・・・
すごい最近だった気がしてたけど
もう1年も経ったのか・・・
そもそも年を越したのか?
ん?今年は何年だっけ

あ、昭和52年だった!



起床後、激しい時差ぼけ。





昭和52年(1977年)といえば、
筆者は14歳だ。中学二年だった。
wikipediaで当時の歌謡曲のラインアップを
見ると、有名どころが大挙してリリース
していて驚く。
どの曲も一度は耳にしたことのある曲ばかりだ。
所謂歌謡曲が大衆曲として君臨してた時代だ。
ちなみにキャンディーズ解散の前年だった。
テレビの歌番組も多かった。

そんな時代、筆者といえば
勉強は赤点ばっかりで
本当に出来の悪い中学生だった。
英語も数学もダメ。
居残り補習もよくやった。
かといって運動は出来るのかといえば
そっちも全然ダメだった。
2kmマラソンでクラスで最下位。

クラスでも目立たず
本格的に「のび太くん」を地で行く
中学生だった。
のび太くんは小学生だけど。

勉強はだめだったが遊びには没頭していた。
主に鉄道模型とラジオ。

鉄道模型は建物や山や鉄道を取り巻く風景
などの「レイアウト」の造形と、
模型車両が動く仕組みに興味を持った。
鉄道模型を通じて電気工作を行うようになる。
ラジオはオールナイトニッポンにハマり、
仲間とラジオごっこをするようになる。

ラジオごっこも暫くすると実際に電波を出して
他の人に聞いてもらうというフェーズに陥り
簡易FM送信機を買ってもらうが
そのうち喋ることよりも電波とは何だという
技術的興味を覚える。

鉄道模型→電気工作
ラジオごっこ→電波工学
という布陣から高校生の時にアマチュア無線の
資格を取るに至り、ああ俺って理系なんじゃん
などという大きな勘違いを招く。

調子に乗って大学は理工学部電気工学科に進む。
折も折り、大学1年の1981年にYMO/BGMを
直聴きしたショックで、箍が外れ、
電気工学→テクノ音楽という意味不明な
流れを止めることができず
「のび太くん」のまま今日に至る。


物を壊せば音が出るヤター。
(by M.T)








0 件のコメント:

コメントを投稿